以前の私を一言で言うなら、「あきらめている人」でした。自分の境遇をあきらめ、自由に生きることをあきらめ、流されるままに生きていました。
私が結婚したのは、短大を卒業してすぐです。当時、女性は家庭に入るのが幸せという価値観が一般的。でも、4歳上の姉は、それにあらがうように、海外で働きたいという夢を持っていました。
両親は、せめて妹の私だけは世間のレールに乗せたい、と思ったのでしょう。「いま付き合っている人と結婚しなさい」と急かされ、言われるがまま入籍しました。
まもなく、娘達を相次いで出産。しばらくは家族水入らずでしたが、夫の義父母から「戻ってきてほしい」と頼まれ、同居することになりました。
ところが引っ越してきた夜、義母がぜんそくで倒れ、入院することになってしまったのです。義父母は町の小さなCDショップを営んでおり、業務のほとんどを義母がやっていました。CDの仕入れも発注も、義母がいなければできませんでした。
「あさちゃん、やって」
義父母からそう言われたときは驚きました。社会人経験がほとんどない私に、ショップの運営なんてできるわけがありません。
でも、ほかにやる人がいなかったのです。主人は会社勤めで、義父は店番以外のことはできません。「私しかいない」。そんな状況でした。
料理を作って、お菓子を焼いて、主人の帰りを待って、楽しく一家でだんらんする。そんな理想とはかけ離れた現実。
でも私は、義父母に一度も意見しませんでした。ほかに選択肢がないと思い込んでいたのです。
「仕方ないんだ」。私はいつしか、あきらめの境地に入っていました。