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仕事を通じて実現したいこと

笑顔一生。苦しまない人を増やしたい

人間関係に悩んでいる方、組織やチームづくりに困っている方に対し、「声紋分析」という少し変わった人間分析法を用い、カウンセリングやコーチングを駆使して悩み解決のサポートをする。それが私の仕事です。

今なぜ、この仕事をしているのか。それは、私自身が人間関係に悩み続け、もがき苦しむ人生を送ってきたからです。

だからこそ、自分や人の性質を読み解き、よりよい人間関係づくりにつなげ、たくさんの人を笑顔にしたいと思っています。

私の〝ちょっとヘビーな人生〟をご紹介しながら、この仕事を通じて目指したいことをお伝えしていきます。

あきらめの人生だった

以前の私を一言で言うなら、「あきらめている人」でした。自分の境遇をあきらめ、自由に生きることをあきらめ、流されるままに生きていました。

私が結婚したのは、短大を卒業してすぐです。当時、女性は家庭に入るのが幸せという価値観が一般的。でも、4歳上の姉は、それにあらがうように、海外で働きたいという夢を持っていました。

両親は、せめて妹の私だけは世間のレールに乗せたい、と思ったのでしょう。「いま付き合っている人と結婚しなさい」と急かされ、言われるがまま入籍しました。

 

まもなく、娘達を相次いで出産。しばらくは家族水入らずでしたが、夫の義父母から「戻ってきてほしい」と頼まれ、同居することになりました。

ところが引っ越してきた夜、義母がぜんそくで倒れ、入院することになってしまったのです。義父母は町の小さなCDショップを営んでおり、業務のほとんどを義母がやっていました。CDの仕入れも発注も、義母がいなければできませんでした。

「あさちゃん、やって」

義父母からそう言われたときは驚きました。社会人経験がほとんどない私に、ショップの運営なんてできるわけがありません。

でも、ほかにやる人がいなかったのです。主人は会社勤めで、義父は店番以外のことはできません。「私しかいない」。そんな状況でした。

 

料理を作って、お菓子を焼いて、主人の帰りを待って、楽しく一家でだんらんする。そんな理想とはかけ離れた現実。

でも私は、義父母に一度も意見しませんでした。ほかに選択肢がないと思い込んでいたのです。

「仕方ないんだ」。私はいつしか、あきらめの境地に入っていました。

 

心と体のバランスを崩す

娘達が幼稚園に通っているとき、義母が乳がんになりました。入院まで1ヶ月もなく、退院してから動けるようになるまで、子どもたちの世話と並行して義母の介護をしました。義父も義母も寝込み、二人の看病と家事とCDショップを切り回す期間が続きました。義母の再発が見つかると同時に、義父に肺がんが見つかり3か月程であっけなくなくなりました。義母には告知をせず、看病をしました。

 

このときが最もきつかったように思います。病名を聞いてくる義母に笑顔で嘘をつき、CDショップをしながら付き添い看病の毎日。誰にも相談できず、一人で抱えていました。

店があるので夕食会後は、小学生の娘たちが行ってくれました。休みなく続く看病を見かねた病院の先生や看護師さんが、「子どもたちをどこかに連れて行ってあげて。1泊くらい私たちが看病するから」と言ってくださったこともあります。義母の友人が名古屋から駆けつけてくれて、私を助けてくれたときは、本当にうれしかったのを覚えています。

 

そんな生活も終わりを迎えるときがやってきました。義母が他界しました。

異変が起きたのは、義母のお葬式が終わった翌日です。右腕がまったく動かなくなったのです。張り詰めていた気持ちがゆるみ、看病疲れがどっと出たのかもしれません。診察のために義父母がお世話になっていた病院に行くと、「もう来なくてもいいんよ」と言われました。それくらい、毎日のように病院に通っていました。

すべてを失って得たもの

でも、その後に起こった事件ほど、私を打ちのめしたことはありません。

46歳のとき、CDショップを兼ねていた自宅が全焼。近隣からの飛び火が原因でした。すべてが焼けました。思い出の写真一枚残りませんでした。子どもたちの賞状やトロフィーなども一切持ち出すことができないくらい、火のまわりが早かったのです。

頭が真っ白になりました。大きな渦に巻き込まれ、ぐるぐる回って飲み込まれていくような感覚でした。

「義理の両親をちゃんと看取ったのに、なんでこんな目に遭うの?私、何か悪いことをした?」。これが本音でした。

 

そんな思いをくみ取り、先行きを照らしてくれたのが、カウンセリングでした。私の苦しみを知ったカウンセラーは、こう言ってくれました。

「あなたはすべて失ったかもしれない。でも得たものがある。それは『自由』よ」

はっとしました。確かにその通りでした。

過去は予定通りに起こったことであり、乗り越えられない壁はない、すべてはベストなタイミングで起こっている。

そう思ったとき、吹っ切れました。自分の苦しかった人生が、救われたような気がしたのです。(続く)